日本書紀に載ってない「幻の遣隋使」のお話

こんばんは。よもぎです。

今日は25時からサッカー日本代表戦を見ようと思います。サッカーファンとして応援する義務がありますからね^^

さて、今回はネタが思いつかなかったので日本史の超どうでもいい話でもしようかなと思います。

皆さん、遣隋使はご存じですか?遣唐使じゃなくて遣隋使ですよ~

遣隋使はまあそのまんまの意味なんですが、昔々あるところに「隋」という国がありまして。そこに当時の日本(倭国)は使いを送っていたんですね。その使いの名前が遣隋使です。

遣隋使で有名なのが、小野妹子が派遣された第2回ですよね。「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」(by聖徳太子)という書き出しの国書を見た隋帝がブチギレたなんてエピソードも。

なんてことはどうでもよく、今回取り扱うのは第1回の遣隋使です。

実はこの第1回の遣隋使は日本書紀に記述が無くて、幻の遣隋使みたいな感じになっているんです。

ただ隋代の歴史書である「隋書」にはちゃんと倭国から使いが来たよ~っていう記載があるんですよね。

じゃあなんで日本書紀に第1回の記載が無いのか。答えは隋書にありました。

「開皇二十年 俀王姓阿毎 字多利思北孤 號阿輩雞彌 遣使詣闕 上令所司訪其風俗 使者言俀王以天爲兄 以日爲弟 天未明時出聽政 跏趺坐 日出便停理務 云委我弟 高祖曰 此太無義理 於是訓令改之」
多分意味わからないと思うのでざっくり訳すんですけど、高祖(隋の皇帝) が倭国の内政について尋ねたと。で使者から説明を受けたけどそれに納得がいかず、「それは著しく不義理だ」と。要するに倭国からしてみれば”ダメ出し”を食らったって言うわけなんですよね。

これ、前後の歴史を見るともっとクリアに考えられます。

600年 第1回遣隋使
603年 冠位十二階を制定
604年 十七条憲法を制定
607年 第2回遣隋使

このように、第1回と第2回の遣隋使の間に内政改革を2つやってるんですよね。ダメ出しを食らった後、隋に認められるようにしなきゃという焦りが垣間見えます^^

日本書紀って学者の間では結構「訳アリ」の歴史書で、割とぶっ飛んでる話もあるようなので歴史書としてみる場合は注意が必要ですね~


今日は第1回遣隋使について紹介しました~ほんとしょうもない話なんですけどちょっとした豆知識にはなるかもしれません。ではでは。

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