1から知ろう北方領土問題 戦前からの経緯・歴史を踏まえてロシアの主張のおかしさを解説

北方領土問題は日本が直面している領土問題の一つです。今北方領土はロシアに不当に実行支配されていますが、最近は学校の義務教育でこの問題を取り扱わないことも多く、北方領土問題そのものを知らない人が出てくるかもしれないと危惧しています。

今回は北方領土問題の経緯を一から解説し、ロシアの言い分がいかに間違っているのかを説明しようと思います。



話は第二次世界大戦前にさかのぼります。

当時日本はドイツ・イタリアと共に日独伊三国同盟を結び、アメリカと戦いを挑もうとしていました。ただ、日本がアメリカと戦っている最中に反対側にいるソ連に攻め込まれたら非常にマズいわけです。そのため、日本はソ連を枢軸国側に引き入れようと工作をしていました。また、ソ連としても、当時勢いのあったドイツと日本に挟み撃ちにされてしまうと非常にマズいです。そのためお互いの利害が一致したので、1941年4月に日ソ中立条約を結びます。

この条約は名前の通り、お互いが中立でいようねーっていうノリの合意みたいなもので、5年間領土の保全と相互不可侵(侵略行為をしない)ということを約束した条約でした。

その2か月後、独ソ戦が始まります。当初の日本の目論見であったソ連を枢軸国側に引き入れようという作戦は水の泡と化し、ここでソ連を攻撃すればドイツと日本で挟み撃ちにできたので大チャンスだったのかもしれませんが、日本は日ソ中立条約を守り攻め込みませんでした。

その後、日本とアメリカの間で太平洋戦争が始まります。当初日本が優勢だったものの、アメリカの圧倒的な国力を前に日本は徐々に敗戦ムードとなっていきます。

そんな中、1945年2月にアメリカ・イギリス・ソ連の間でヤルタ協定が結ばれます。ここでソ連はドイツ降伏後3か月以内に対日戦に参戦することが決められます。これは完全な日ソ中立条約違反です。しかも、その見返りとして南樺太と千島列島をソ連に譲渡するということも同時に決められました。これは大西洋憲章の領土不拡大の原則に違反します。このヤルタ協定は様々な問題があったわけです。

同年4月にソ連は日ソ中立条約の不延長を通告しますが、まだ日ソ中立条約の効果は1946年まで残っていました。しかし、8月8日にソ連はあろうことか日ソ中立条約を破り日本に宣戦布告、侵攻を始めました。日本は8月14日にポツダム宣言を受諾し戦争は終結したかと思われましたが、ソ連は攻め続けました。その結果最前線の日本軍は戦争が終わったはずなのになぜかソ連軍がやってくるという謎の事態に陥り、日本軍は全く抵抗できぬまま北方領土を占領されてしまいました。

日本は1951年にサンフランシスコ平和条約を結び、樺太の一部と千島列島に対するすべての権利を放棄しましたが、北方領土は千島列島に含まれていません。というより、そもそもソ連はこのサンフランシスコ平和条約に参加しておらず、北方領土の権利を主張できる根拠はありません。

今のロシアは「北方領土は第二次世界大戦でソ連が勝利して手に入れた」と主張していますが、前述の通り日本と戦争を起こすこと自体日ソ中立条約違反、また領土を獲得すること自体大西洋憲章に違反します。


このように、ロシア側の言い分には全くもって根拠はありませんが、70年以上にわたって実効支配されているのが現状です。日本はこの窮状を国際社会に訴えかけていく必要があると思います。

0 件のコメント

Powered by Blogger.